またそれをもってよしとなす。
死に行く人を助けんとして
自らの血を繋げんとす。
知れば無駄であることを知る。
知らず。
ただ自己の範疇の可能性のみぞ知る。
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この瞬間について語ろう。
無論、語れぬのだが。
語れぬ瞬間であるから。
語れぬ瞬間であるが、ではこう考えよう。
つまり想起。
想起とは何か。
頭に浮かんだもの。
その浮かんだものは、まず事実とする立場。
そしていろんな哲学が言われているが、
自分の頭に正に浮かんだ事実は事実ということ。
このへんはデカルトに譲る。(疑う側からだが。)
証明好きが証明すれば良いが、証明の複雑度が
高まるということは、それを証明するための自由度も
輪をかけて高めなければ証明できないということ。
想起を前提とする。
想起があれば、それが書ける。
文字なり、音楽なり、絵画なり、5次元的な表現なり。
私が他で書いて、それさえできればこういった分野の垣根さえ
飛び越えられるのに、と常々思ってるものがあって、
それは「意識を直接伝える機構」なのである。
つまり、「この」感動を「そのまま」つまり、5感に直接
その通りに伝える機構。そして5感に直接電気信号を伝えるだけでは
大切な芯は伝わらないので、つまり感情を直接伝えるものである。
ここで個体差の問題が出てきて、5感に直接電気を送ればいいものでは
ない。脳に及んで、需要体として、その感動を需要しうる許容量を
持っているか?ということに及ぶ。(ここらへんから、許容できなくとも
絶えず先達の達し得た最高の感情を常に与えていれば、自ずと許容体も
拡張されて、いつしか許容しうるものへ成長する、とか研究しだす
人も出てこよう。)
想起が前提できたので少し安心してものが書ける。
変な夢を見た。
例えば一番大切なものが滅する夢を。