2022年10月30日日曜日

親が思う、子供の成長の驚きの記録

親が思う、子供の成長の驚きの瞬間をメモとして記録しておく。
(何かの役に立つだろうし、専門家であればネット情報を網羅して役立ててくれるだろう^^)

【含み笑い】
子供(赤ん坊)のストレートな笑いはいいものである。親としてはそれを見聞きするだけで至高であろう。陰りのない生命としての「喜」である。

驚きの瞬間は、子供が幼稚園に行き始めてしばらく経ってからであった。(ちゃんと記録しておけばよかったが、年少さん中盤〜後半(3〜4才)か年中さん前半(4〜5才)くらいだったと思う。機会があれば幼稚園の先生とも話をしたかったが、機会がなくて話をしないままだった。残念。)

ある日、いつものように子供を笑わせようとして面白いことを言ったのだが、なんとその時の反応が、含み笑いだったのである!!!「フッ」というような鼻で笑う感じの笑いであった。
それまでのストレートな笑いと異なる、大人を思わせる含み笑いに驚愕したものである。
含み笑いとは、現実世界の「打てば鳴る」というストレートな作用・反作用の領域を抜け出して、心の中でいわば仮想世界上で、つまり自分の頭の中でイマジネーションを駆使して発揮されるものである。(科学的にはまた違う解釈が出来上がっているかもしれないが。まぁ「心の形成」という点では、子を持ったりすると自分事として日常的に考察するわけであるから、いわば全ての人がその一端を担う当事者であるのだが。よってこの解釈も新境地として開拓できれば良いだろう。(もしくは当の昔から研究され尽くした、何の新しみもない領域かもしれないが。。^^))

このような高度な、大人となんら遜色のない反応を見せたことに、我が子は天才かと思ったのである!(なんだかただの親バカブログになってきた^^)

【足し算】
年長さん(5〜6才)頃に、子供が「たす」とか「ひく」ことに興味を持ち始めたので「箱の中に1つのチョコと、もう一つのチョコがあって、箱の中の全部を数えると2つでしょ」的な、皆さんがやるようなやり方で、なんとなく足し算を教えてみた。
そこから「1+1」など、所謂「抽象的な」記法に持っていくのが常套手段だと思うのだが、我が子にもそうしてみた。
それからは「2+2」とか「3+5」とか応用していったのだが、概念を覚えた子供は私が問題を出すと(なぜか私には背を向けて)指を折って足し算して、私に答えを教えてくれるようになった。(「抽象化」とは正に人類が獲得した最強ツールである!)
それからしばらく成長して、その時の事を我が子は私に「最初は意味が分からなかったけど、ずっと考えてたら分かって、なんだか脳ミソが「ブワッ」と膨れた感じがした」と教えてくれた^^
私はそれを聞いた時は勿論だが、それを思い出す時はいつでも何故か幸福に浸れるのである^^

これは正に「概念を理解した時の至上の喜び」を我が子が表してくれたものであって、私も含めて大人全員に多かれ少なかれ存在した瞬間であって、この瞬間を大切にしたいと思ったのである。

※水を指すような事を追記して申し訳ないが、それから小学校一年生になって、算数の授業でも足し算・引き算をやり始めたのだが、例えば「7+4」は「4から7に3をあげれば10になって、4は3あげたから1になるから、合わせて11」というような、「やりやすい足し算」的なものも一年生でやり始めたのだが、そこから途端にできてたはずの足し算も逆にできなくなってしまったToT(計算がめちゃくちゃになってしまった)

無論これは、その言わんとしている事(大きく見ればやはり概念)を理解できなかった、というだけの話かもしれない。
「これはいかん」と思って、教科書の「概念」を教え直して事なきを得たのであるが、初めて我が子を現代教育の現場に投じたものとして、何か悶々としたものを感じたものである。
落ち着いて考えると、これは「概念を教える時は、生兵法では逆に怪我をする」とでもいうべき類の話だろう。
概念を教える時はちゃんと教え切るべきだろうし、一方では学校はカリキュラムを推し進めなければならないだろうし、というところでのジレンマであろう。(おそらく昔からあるジレンマであろう。かといって「授業についていけない人は塾行ってね」というのも根本的に違うだろう。)
※決して現場を批判するものではない。

現場でのプロパティとしては、更に「本人のやる気」が付け加わってくる訳であるから、より複雑なのだろうな。(無論本人が聞く耳を持たないのであれば、教える側も嫌になるだろう。(現代の教育現場ではそれは明示的には言えない?のだろうが。そうすると「ちゃんと教えましたけど」という、ウワベだけの論争になっていく、という。。)

話が飛躍してしまったが、純粋に「知」「智慧」を求める本道としては、時代に関わらず、現場に関わらず、正に純粋な抽象概念の獲得ができれば良いのだろう。(数多の時代的影響、現場的影響による悪条件でしか教育を受けられなかったのに関わらず、立派に学問を大成したした人の話を聞くと泣けてくる。裏を返すと、本道においては時代的影響や現場的影響は些末な事柄なのである。(よく言われる通り、他と比較していてはキリがない。))