2020年10月22日木曜日

いきなり「ミニバームロール」について

突然だがブルボンのお菓子「ミニバームロール」について。

子供の頃から何気なく食べていたので、意識にさえ
のぼらなかったが、最近久しぶりに食べたら、
このお菓子は一体なんなんだろうか?と急に
意識してしまった。

何菓子なのだろうか?
和菓子なのだろうか?洋菓子なのだろうか?
周りを覆っているのはチョコなのだろうか?
いや、「ホワイトクリーム」とあり、原材料にも
チョコは使われていない。なんとも「和的」な
「昭和的」なものと言える。

まぁうまいからいいか、という結論。
現代の子供たちも無意識のうちから食べて、
大人になってから、ふと「そういえば、この
お菓子はなんなんだ?」と思ってくれれば
それで良いと思う。


2020年10月18日日曜日

炭焼き炭治郎

鬼滅の刃を昔話風にしてみました。
百年後とかに、桃太郎、浦島太郎、金太郎に並ぶ
四大昔話になってくれればと思います。

2020年6月29日月曜日

敢えて知るべからず

敢えて知るべからず。
またそれをもってよしとなす。

死に行く人を助けんとして
自らの血を繋げんとす。

知れば無駄であることを知る。
知らず。
ただ自己の範疇の可能性のみぞ知る。

ーーー
この瞬間について語ろう。
無論、語れぬのだが。
語れぬ瞬間であるから。
語れぬ瞬間であるが、ではこう考えよう。
つまり想起。
想起とは何か。
頭に浮かんだもの。
その浮かんだものは、まず事実とする立場。
そしていろんな哲学が言われているが、
自分の頭に正に浮かんだ事実は事実ということ。
このへんはデカルトに譲る。(疑う側からだが。)

証明好きが証明すれば良いが、証明の複雑度が
高まるということは、それを証明するための自由度も
輪をかけて高めなければ証明できないということ。

想起を前提とする。
想起があれば、それが書ける。
文字なり、音楽なり、絵画なり、5次元的な表現なり。
私が他で書いて、それさえできればこういった分野の垣根さえ
飛び越えられるのに、と常々思ってるものがあって、
それは「意識を直接伝える機構」なのである。
つまり、「この」感動を「そのまま」つまり、5感に直接
その通りに伝える機構。そして5感に直接電気信号を伝えるだけでは
大切な芯は伝わらないので、つまり感情を直接伝えるものである。
ここで個体差の問題が出てきて、5感に直接電気を送ればいいものでは
ない。脳に及んで、需要体として、その感動を需要しうる許容量を
持っているか?ということに及ぶ。(ここらへんから、許容できなくとも
絶えず先達の達し得た最高の感情を常に与えていれば、自ずと許容体も
拡張されて、いつしか許容しうるものへ成長する、とか研究しだす
人も出てこよう。)

想起が前提できたので少し安心してものが書ける。
変な夢を見た。
例えば一番大切なものが滅する夢を。



2020年5月14日木曜日

すべり台

最初は一体いつ頃に子供にすべり台で遊ばせただろう。

いつ、どこであったか。
そしてどうやってだったか。

もちろん最初は一緒にすべっただろうが、
子供はその遊具はすべるものだと知っていたか。

小さい時から遊んでいる公園で
お兄さん、お姉さんたちがすべってるのを見て知っていたか。

周りの公園にはすべり台が無くて
遠出した公園で初めて見て初めてすべったか。

以来子供はすべり台を見つけては
なぜか知らないが
必ず見つけ次第すべるのである。

なぜ山に登るのか問答のようなもの。

突き詰めると返って発散する。
すべり台で一体子供の知育的にはどういった効果があるのか。
一体何が育まれているのか。
ただすべってるだけで知能的にも体力的にも何が影響があるのか。
等々。

しかも設備は結構な大きさで、
設置するにも結構な領域をしめる。

しかし古今東西、公園にはほぼ必ずすべり台は存在する。
存在するべくして存在している。

ただそれで良いと思う。
子供たちもそんなすべり台を愛していると思う。